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ミャンマーで広がる抗議デモとそれに対する鎮圧は、民主化後の最悪レベルに達している。
悪化する情勢は、ミャンマーが抱えるいくつもの問題が表面化した結果といえる。
この状況を打開する公算が最も大きいのは、これまで抑圧されてきた少数民族の動向である。
なぜここまで状況が悪化したか
ミャンマーでの抗議デモと治安部隊との衝
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<国軍は民政移管と経済改革で大いに潤っていたのになぜ? 司令官トップの自己保身などと臆測も飛び交うが、暴挙に出た理由は、その歴史とアイデンティティーを理解すれば分かる>
今年2月1日に起きたミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターは、ほぼ10年にわたる民主的な統治(厳密には「民主的」とは言い難いが)を唐突に終わらせた。世界を驚かせたのはコロナ禍のさなかで政変が起きたことだけではない。クーデタ
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ミャンマーで軍部がクーデターを起こし、選挙で国民に選ばれた政党NLDの代表であるアウンサンスーチー氏らを拘束してから1ヶ月半が経とうとしています。
この間、抗議デモへの弾圧などにより、多数の若者が殺害されていることを知っている日本人は多いでしょう。
しかし、民主主義が奪われるということを「自分の事として」考えている人はどのくらいいるでしょうか。
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50万人を超えるロヒンギャの人々が、ミャンマーから隣国バングラデシュへ難民となってあふれ出ている。雨期のなか、故郷のラカイン州西北部から国境のナフ河を越え、着の身着のままで脱出し、受け入れ態勢不十分な土地でなんとか生きようともがいている。
1991年のノーベル平和賞受賞アウンサンスーチーが国家顧問を務める国で生じた大規模難民流出だけに、国連をはじめ